須 藤  宏  略歴

オルガン製作家 (株)須藤オルガン工房 主宰

 1946年3月15日(昭和21年)神奈川県三浦郡逗子町(現 逗子市)にて出生。少、青年期を神奈川県三浦郡葉山町にて過ごす。3歳にてヴァイオリンを始める。1965年より1969年まで、上智大学理工学部で、通信工学を専攻。卒業後、1960年ごろより興味を持ち続けていたパイプオルガン製作に進むべく、当時 神奈川県高座郡座間町にあった辻オルガン製作所に就職、ポジテイブとオルガンの製作に携わる。この間オルガン製作の基本的技術を身につける。国際基督教大学、仙台宮城学院のオルガン等の組立て作業にも参加。

 1971年11月機を得て西ドイツ リンダウ市のアルビ−ツ・オルガン製作所にて更に経験を積むべく渡欧。アルビ−ツ社がまだ小さかったことも幸いし、オルガン製作の全ての分野にわたり経験を積むことを得、貴重な体験をする。この間製作に携わったオルガンは20台を超える。

とりわけ、

リンダウ市の2台のオルガン
フリ−ディンゲンのオルガン等
では工場主任として働き、

ア−レン
ヴィル(スイス)
チュ−リッヒ(スイス)
プフレンドルフ
クラウヘンヴィ−ス等の教会のオルガンでは組立主任として働く。


 1974年シュトウットガルトの職業会議所よりマイスタ−試験の受験資格を与えられる。
1976年2月より7月までル−ドヴィッヒスブルグのバ−デン・ヴユルテンブルグ州立職業専門学校にてマイスタ−試験受験準備講座に参加、
卒業と同時に学科試験(経理 経営 法律 教育心理 後継者の養成 専門知識に関する試験、筆記及び口答)に良好な成績で合格、実技試験受験を許可される。
同年8月実技試験 設計製図部門に合格、直ちに家庭用オルガン(13音栓)の製作にかかる。幸い、このための工房をリンダウ市よりアルビ−ツ社に隣接して借りることができる。

 1977年5月製作作業を完了し、このオルガンの注文主であるスイス、エルマティンゲン村のフェルドマン家へ搬入、組立て、整音、調律の上、シュトウットガルト職業会議所試験官バウア−、シュトロ−ベル両氏の検査を受け合格。同日晩フェルドマン氏の演奏にて披露を行う。同日より、日本人として初めて"オルガン製作マイスター"と称することを許される。 マイスター試験について

1977年6月22日5年半の在独生活を終えて帰国、アルビ−ツ社で製作した、東京板橋、田園調布、宇都宮の各カトリック教会のオルガンの組立、整音作業にあたる。同時に、国内でオルガンを製作すべく、須藤オルガン工房を設立。

代表作は
完成年 設置場所 設置施設 鍵盤数 音栓数
1978 北九州市 北九州聖楽研究会 1M 4
1982 愛媛県北条市 聖カタリナ学園 3M+P 38
1984 宮城県中新田町 町立バッハホ−ル 3M+P 34
1986 横須賀市 日本基督教団小川町教会 2M+P 12
1986 東京都世田谷区 日本基督教団桜新町教会 1M+P 6
1987 札幌市 カトリック北十一条教会 2M+P 16
1988 ブルージュ(ベルギー) カルメル会修道院 ポジティフ 3
1990 姫路 姫路市立パルナソスホール 3M+P 41
1993 宮崎市 宮崎県立芸術劇場 4M+P 66
1995 横浜 山手カトリック教会 1M+P 10
1995 東京都世田谷区 カルメル会上野毛修道院 1M+P 10
1996 横浜市金沢区 関東学院中高 礼拝堂 2M+P 13
1998 仙台市 仙台白百合学園聖堂 2M+P 18
大分 切支丹音楽研究家宅 テーブルオルガン 1

などがある。
なお、宮崎県立芸術劇場のオルガンは、国産では最大。

中新田町立バッハホ−ルのオルガンは「たんぼのなかのバッハホ−ル」のオルガンとして、話題を呼ぶ。
その他の仕事としては

1980 仙台市 宮城学院礼拝堂 ハンマー社製オルガン移転 30音栓
1985 仙台市 宮城学院音楽科ハンセンホール スイス サン・マルタン社と共同組立ジョルジュ・ロート氏と共同整音26音栓
1995 鎌倉市 鎌倉恩寵教会 ドイツ製オルガン改良・改造作業 5音栓

1985年9月より、株式会社須藤オルガン工房として業務を続け、今日にいたる。
従業員数概略5名の小規模工房の利点を生かし、デザイン、設計、製作、組立、整音、調律に至るまで、細部にまで手の行き届いた精緻な仕上げを誇りとしている。

日本の音響環境での経験を生かし、残響の少ない建築空間で柔和で透明感のある音作りを得意としている。
既に国産最大のオルガンを製作した実績にも表れているとおり、いかなるオルガンにも対応できる態勢を整えている。

2000年8月 日本文化振興会からの国際文化功労賞 授与の案内があるも、事情あって辞退。

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