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フーちゃんママ

 その後改名
ビエンちゃんです

2000年6月以前撮影
 毛の雰囲気がフーちゃんに似ていて、ちょっとお歳を召している感じなのでこの名前になってしまいました。 その後、ビエンチャンという呼び方が出てきました。 これはベトナム語ではありません。
 何年も決して触らせなかったのですが、何の拍子か突然抱っこもするようになりました。 時には自分からひざに乗ってきます。 その後工房で3匹の子猫を出産。ビエンちゃんの子育てのページへ 一匹は結局須藤家の一員になったVちゃんです。 その後何回も子供を産んでいますがなかなか育ちません。
育ったうちの一匹ぺー助君(ガリちゃんとも呼ばれていた)も工房で死んでしまいました。

2000年8月から何ヶ月も姿を見せませんでしたが年の暮にはまた工房に姿を見せるようになりました。 そして今も工房に現れます。

2003年4月22日撮影
作業中に私の腿にのってくつろぐビエンちゃん。 もう10歳に近いのではないかと思われるのですが、今もお腹を大きくしています。

2004年2月11日
Principal16' E のパイプでくつろぐビエンちゃん。 修理で工房に持ち帰った大きなパイプ、何が良いのか、降ろしてもまた上ってしまいます。 午後ずっと休んでゆきました。

ムラちゃん ビエンちゃんの娘です。 2002年春に工房の外で生まれました。一緒に育っていたビッキーちゃんはその後来なくなってしまいました。 ムラちゃんは毎日やってくるのですがどうしても馴れることができず、いつも逃げ腰です。 それでも工房で午睡をむさぼってゆきます。

左がムラちゃん、右は母親のビエンちゃん。
コマッタ君 2003年4月末にビエンちゃんが工房のダンボール箱で5匹の子猫を生みました。 その前にビエンちゃんの娘のムラちゃんが生んだばかりの3匹の子猫を連れて工房に引っ越してきました。 合計8匹の子猫で一時は大変でした。 しかし、育ったのはたった一匹この コマッタ君だけでした。
撮影:杉山
おでこにしわを寄せて 困った顔 をするので この名になってしまいました。
その後、隣の自動車板金屋さんの方のところへもらわれて行き、先住猫とも仲良くして元気にしているそうです。 人にはよく馴れてかわいいやつです。 少々工房が寂しくなりました。
モノちゃん


 毛色がモノクロームなのでこの名前になりました。  もう何年も来ていますが絶対に触らせてくれませんでした。 鼻の黒いところが愛嬌があります。
この子はなぜか皆と時間がずれていて食事時を外して現れます。そして夕の餌をあげる直前に姿を消したりします。 要領の悪い猫です。
最近でも時々現れます。 歳のせいか、真っ黒だった毛も茶色っぽくなり、きれいだった白毛も薄汚れていますが元気です。 最近は少し触らせてくれるようになりました。

 全く触らせてくれなかった頃、生んだ子猫が車に轢かれて死んでしまったことがあります。 その死んだ子をくわえて工房にやってきました。 人を頼ったらば何とかしてくれると思ったのでしょう。

帰ってこなくなった猫たち しんり君 大和君 ゴマちゃん より長君 のらくろ君
ママ、 フーちゃん、ビッキーちゃん、。
たまにしか来ない猫たち ミーちゃん 佐藤君

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