宮崎県立芸術劇場オルガン 組立の記録

う ら 話


1.篠笛 音栓 の成りたち

契約後、オルガンの設計に先立ち、県文化課から宮崎の土地を知り、また音楽関係者と知己となるために来訪するように言われた。 自分にとってもオルガンのデザインに生かすためには願ってもないことであった。

1991年6月14日午後。 空路宮崎に到着、その夜は地元の音楽界の方々との夕食会が準備されていた。

翌15日土曜日 雨の中レンタカー(トヨタランドクルーザー)を借りて出発。
県からは予め見るべき場所の指示を受け取っていた、下図はその一部。

記憶によれば、一日目は綾町の照葉樹林、西都原古墳群などを見て北上し、高千穂で神楽を見学して泊まるというコースであった。
高千穂へは日向灘に沿って国道10号線を北上して延岡から国道218号線で高千穂へ向かう経路が示されていた。 しかし、地図を見ると、国道10号線は私には、まるで魅力を感じない。

地図を見ると 九州山地に点在する宮崎の村々を通過しする魅力的な道路がたくさんある。 10号線はただ走って移動するだけの道路のように思えた。 独断で経路を変更した。
後に判ったのであるが、県の担当者は、本当は私が選んだ経路を推薦したかったが、あまりに道路状況が良くないので10号線を推したとのことであった。

西都原古墳群(雨の中で訪れた古墳群はなんとも美しく幽玄な土地であろう) を見て、国道219号線を一ケ瀬ダムを経由して西米良村の中心 村所 へ向かった。 ここまではバスが来ている。

村所から 国道265号を走り飯干峠(1000mほど)を越えて椎葉村に入る。 この辺りまで来て間違いに気付く。 国道とはいえ、一車線の山間道路で速度も出ないうえに曲がりくねっているため距離はずっとある。 その上この日はかなりの雨。 途中ちょっとしたがけ崩れがあったりする。 夜8時の高千穂での神楽に間に合わせるのはきついことに気付いた。 地方の3桁番号の国道は都会のそれとは大違いなのである。
すれ違う車も少なく、木々の枝に日の光が遮られて路面に苔が育っている所もあった。

幸運にも、この経路を取った事を後悔する結果には至らなかった。 この深山の景色(車を降りる余裕があればさらに良かったのであろうが) はそう簡単に出会えるものではない。 自家用吊り橋があったり、都会の生活からは想像を超える営みがあることを感じることができた。 30年も前は本当の僻地であったことであろう。

椎葉では鶴富屋敷を見たかったがそのまま通過、 計算すると、どう転んでも8時の神楽には間に合わない。 最大の目的を逃してしまうことは確実になってしまった。 明日県庁でなんと報告しようか。
椎葉村仲塔付近で公衆電話を発見(携帯電話がまだ無い時代、あっても電波が届くところかどうか) 宿へ電話を入れておく。

国見峠(1000mほど)を抜けて五ヶ瀬町に入る。 五ヶ瀬から高千穂へ行く近道(鞍岡・赤谷線)を宿の主人から教わったのであるが分岐がわからず、結局少し熊本県蘇陽町を経由して高千穂に到着、丁度神楽が終わる夜9時であった。

この経路は現在ではその多くが新しくなり、トンネルができて走りやすい道路となって神話街道という観光道路になっている。 便利ではあるがおもしろさのない道になってしまった。

その夜は 民芸旅館 かみの家 に宿泊。 空調など機械の音がしない静けさを味わうことが出来た。
朝は人の声で目覚める、車の音などの都市騒音は聞こえない。

朝食は囲炉裏端であった。 朝食後宿の主人と話をしたところ
  『地元でもめったに使わない道をお通りで ・ ・ 』と言われた。 事の顛末を話したところ、ここのご主人は地元で神楽保存会に属しておられるとのこと。 高千穂神社の『宮司さんを紹介しましょう』と言われ、電話をして下さった。

高千穂神社に後藤宮司を訪ねると快く招き入れてくださり、神楽のビデオを拝見しながら説明をして下さった。 神楽の笛に話が及ぶと(これが私には最も興味があるところ)箪笥から竹の笛を取り出して私に手渡された。 吹いたが音が出ない。 見ると竹の中に泥が詰まっている。 土蜂が卵を産んだようである。

宮司さんに割り箸を拝借して中の泥と蜂の幼虫を取り除いてから、吹いて見ると、素朴な音色で鳴る。
ビデオに収録されている音はこの笛の基音ではなく常に倍音を使って演奏している。

後藤宮司は
  『私が持っていても意味が無いが、あなたはそれを使えるでしょう。お持ちください』
と言ってくださった。 オルガンに神楽からヒントを得た音栓を作りたいと思っていた自分にとってこれほど有り難いお申し出はない。 ビデオテープとともに頂戴して帰途についた。

幸運にも本来よりも大きな成果を得ていたので安心して宮崎へ戻り、県庁に文化課を訪ねて報告することができた。

下の写真は 高千穂神宮の 後藤俊彦宮司 に頂いた神楽笛とそれを模する実験に使ったパイプである。

写真 須藤

オルガンのSWに音栓名 篠笛 として取り入れた。 鍵盤で奏する笛に"神楽笛"と命名するにはあまりにもおこがましいので 篠笛という音栓名とした。
ホールの落成式には神楽も演じられたのであるが、その時の笛の奏者はオルガンも聞きに来られた。
儀礼的であったかもしれないが 『似てますねー』 と言ってくださった。

同じ頃京都のホールに入ったドイツのKleis製のオルガンにも 篠笛 という音栓が入ったことを後で知った。 おそらく宮崎県立芸術劇場のオルガンの篠笛ほどの根拠は無いと想像するが、一度聞いて仔細に観察してみたいとは思っている。


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